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【書評】『大衆消費社会の登場』

  • seikeigakubueuropa
  • 2022年9月29日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年10月8日



著者:常松 洋

出版社:山川出版社 出版年:1997年5月25日


文責:高橋法大(政経学部2年)



●はじめに

 この本は、アメリカを中心とした資本主義の発展と政治・文化から影響されている消費社会について説明されているものである。著者の常松洋はアメリカ史学者で、京都女子大学名誉教授である。2007年「ヴィクトリアン・アメリカの社会と政治」で京大博士になる。他にも、松本悠子と共編で、「消費とアメリカ社会 消費大国の社会史」を2005年に出版している。



●本書の内容

① 目次

第一章:資本主義の発展と消費社会 .1

第二章:大量生産の時代 p.3

第三章:消費文化と政治・社会 p.17

第四章:ヴィクトリアニズムの動揺 p.34

第五章:男女交際・娯楽・消費文化 p.64


② 内容説明

本書は十章構成である。第一章では、アメリカ資本主義が費という観点に焦点が当てられている。例として、筆者は自動車ほど資本主義的感情を広めたものはないと嘆いている。


第二章の前半では、大量生産・消費の前に宣伝・銘柄・商標が説明される。石けん、薬品、缶詰や瓶の食品、衣類など、従来自家製もので事足りていた物品が商品化される。これらの商品の大量販売を迫られた製造業にとって、いかに消費者に直接アピールするかが課題となった。そして、その手段として重要なのが宣伝であったことが示される。著者は広告について注目し、この章の後半では印刷技術の発展や商標について詳しく説明されている。そのうえで、最も効率的・効果的に新たな消費者創出の手段を提供したのが、商標であり銘柄であったことを結論づけている。


第三章の前半では、消費文化と政治・社会の背景からアメリカ化していくことが示されている。平等にすべての階級を標的にする消費資本主義は、その本来的な機能において、移民のアメリカ化を促している。アメリカ化とは、世界各国における政治、経済、社会、文化の各面が、アメリカのようになる現象である。後半では『欲望と消費』に紹介されているアンナ・クーサンの回顧を紹介している。大まかに説明すると、チェコスロヴァキアの小さな織物工場で働いていた七歳の彼女は、綿花の梱にはられた多色刷りのラベルに別世界を発見する。やがて第一次世界大戦中にウィーンにでて、裕福な家の小間使になったアンナは、小麦粉、ココア、ミルクについて一枚残らずラベルを集め、こんなに素敵な包装をするくらいなのだから、きっと何もかも素敵に違いないと考えるのである。戦後、アメリカに渡った彼女は夢を実現する。初めて見たのは大きなスーパーである。集めていたラベルの商品が販売されているのを目の当たりにして、アンナは大量に購入するのである。ここで筆者は、大衆消費社会は、金さえ持っていれば、すべての消費者を平等に扱うこと、消費行動に積極的に参加することで、旧世界の階級的桎梏から解放され、アメリカ人になれることを示している。


第四章では、ヴィクトリアニズムという世界観について書かれている。ヴィクトリアニズムとは英国女王ヴィクトリアにちなむ国民性や社会的特質を表現する言葉である。偽善的上品さや頑迷さ、島国感情などどちらかと言えば負のイメージが強い。消費文化の普及は、人々の生活方法ではなく、その伝統的な世界観を浸食していくのである。当時、それほど裕福ではなくても購入出来る価格で提供された洋服と化粧品は、すべての階級の女性が淑女になることを可能にし、宣伝が流行に遅れることは罪だとはやし立てている。階層間の区別は消滅したが、その動きは第一次世界大戦以降、急速に進んだ。そこで筆者は、社会的・経済的不平等を覆い隠すこの能力こそ、アメリカ資本主義の特徴・業績の1つと結論づけている。


第五章の前半では、男女の交際・娯楽について紹介されている。例えば、遊園地、ダンスホール、映画館など公的な娯楽施設が流行り、デートの起源になっている。後半では、それらの娯楽が商業化されることが説明される。「浪費」と解釈されることもあるが、最終的には、健全な娯楽、正しい消費が国民的合意になっていることを示している。



●本書への批評・評価

 この本は題名にあるとおり、アメリカにおける消費社会の誕生とその浸透の過程を知ることが出来る内容となっている。読者層としてはライト層とコア層の中に位置するような人たちが読みやすい内容であると思うが、筆者は幅広い層に読んでもらうことを前提にしている。ライト層とコア層の間の人たち向けである理由とは、本書には大量生産と大量消費をダイレクトに結びつけて両者の相互関係性から大衆社会の発生を説明する経済的な観点がないからである。

 したがって、これは読みやすさ以前に、本の内容の批評でもある。



●おわりに

 著者の常松洋は、大量生産=大量消費の観点からではなく、文化・政治、男女の交際、娯楽などによって生じる、生産や消費の過程を詳しく説明した。それによって、読者には新しい視点を伝えたかったのであると思う。

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