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『ヨーロピアン・ドリーム』

  • seikeigakubueuropa
  • 2024年10月17日
  • 読了時間: 6分

書評:ジェレミー・リフキン(訳:柴田裕之)『ヨーロピアン・ドリーム』日本放送出版協会、2006年

長谷川玲也(政経学部2年)

 

🟢はじめに

 著者のジェレミー・リフキンは、アメリカを代表とする文明評論家で、1994年より米国ウォートンスクールのエグゼクティブ教育課程で世界的企業の経営責任者を対象に講義を行なっている。他にも、欧州委員会議長のアドバイザーも務めている。

 この本は、著者のジェレミー・リフキンの活動者として経験してきた出来事や、それにより会得したデータに基づいたアメリカとヨーロッパの対比を表した書物である。

 

🟢本書の内容

 全体的にみると、ヨーロッパとアメリカの対比を述べた文面が多い。アメリカで1960年代に起きたアフリカ系アメリカ人による解放運動であったり、アメリカ人とヨーロッパに住む人々が近代の社会においてどのような行動をとるのかについて説明をしていくという風にこの本は始まる。

 各章の流れを説明すると、前半では、アメリカとヨーロッパでは国全体への経済的思考の違いや、より良い暮らしをするにはどうすればいいのかについて書かれている(1,2章参照)。中盤では、アメリカとヨーロッパ諸国に住む人々では個々人の感情の違いや、アメリカとヨーロッパの繋がりなどについて書かれている(5,9章参照)。後半には、全体を踏まえて、平和を守るにはどうすればいいのか、アメリカンドリームよりもヨーロピアンドリームを推奨する意味がまとめられている(14、16章参照)。

 

🟢問題提起と議論

 まずは、本格的な議論に入るよりも先に、本書のタイトルでもある、「ヨーロピアンドリーム」についてわからないと話の全貌をつかめないと考えることから、この点について確認しておきたい。この「ヨーロピアンドリーム」と対になるものが、「アメリカンドリーム」である。両者ともに、共通する点として自由と安全という2つが登場する。それらについての考え方が対になったものと考えれば良い。

 アメリカンドリームでは、自律性と自由を結び付け、自律できれば他人に頼らずに生きられると考え、自律するためには富が必要であるがために、富が*排他性をもたらし、排他性が安全をもたらすという考え方をする(第1章参照)。

 それに対して、ヨーロピアンドリームでは、自由とは自律するものではなく帰属するものであり、他者との関係やコミュニティが増えることにより無数の相互依存関係を築き、築き上げた関係によって自由に生きるための選択肢や出会いが増えるといった考えから、他者との関係が包括性をもたらし、包括性が安全をもたらすといった考え方をする(第2章参照)。

 以上のように、2つは対立的な考え方をしている。アメリカンドリームは経済成長、個々人の財産、独立など1人1人の素質を大事にしているのに対し、ヨーロピアンドリームでは社会の持続可能な発展、生活の質、他者との相互依存を大事にしている点から、アメリカンドリームからは、かつての独立した社会を彷彿とさせ、ヨーロピアンドリームでは現代の人々の持つ協調性や集団性に焦点を当てた考え方なのだと私は考えた。


 では、ここから本書を読んで気になった問題を議論する。内容紹介の最初に書いたように、本書でアメリカとヨーロッパでは国に対する経済的思考の違いについて書かれているが、この部分である。

 本書によれば、アメリカは自国にとって利益となるものがあった場合、それを守るために必要とあれば軍事力を世界で行使する。それに対し、ヨーロッパの国々は、軍事力を行使するのではなく、闘争を避けるために外交と経済援助と支援活動を好み、闘争をしないために平和維持活動を選択したという。アメリカ人は自国を優先的に考えるが、ヨーロッパ人は自国に他国も取り入れた幅広い範囲で物事を円滑に捉えるという違いがある。このような内容が記されていた。

 この内容から、私は2つの考え方の違いを知って、時代の壁のようなものを感じた。主観的な思考はあまり良くないが、あえて補足程度に挿入したい。アメリカの思考に関しては、かつて独裁国家が盛んだった時代を彷彿とさせるように感じられる。他の国々に比べて、何でも自国が優位に立ちたいというような存在のようで、独裁国家であったころの思考をそのまま引き継いできてしまったものがアメリカンドリームであると考えた。逆に、ヨーロッパの思考では、現代の国々の関係性と深く似たようなものを感じた。自国と他国を紡ぎ、それぞれが協力し合い、協調性や外交関係、助け合いをして相互関係を大事にする現代の国々の象徴のように感じられた。

 やや主観的な感想を述べてしまったが、いずれにしても、この2つの考え方はやはり、それぞれの文化の違いによって生まれたものであり、それが全く異なるものになっていったのであると考えられる。

 アメリカの思考についても、悪い面ばかりではない。国内の個々人の成長、国全体の利益の向上をもたらすのであれば、確かにとらえ方によっては良い考え方なのだと思う。しかし、このころのアメリカの思考は、後に多くの国々を巻き込んだ戦争が勃発するような政策でもあり、強い闘争心が戦争を巻き起こす危険性を感じた。

 一方で、ヨーロッパの思考については、現代のような国と国がともに掛け合い、互いの利益を尊重した考えであると感じ、一見すると良い考え方であるように感じられる。しかし、関わりがもたらす脆弱性に対しては不安がよぎる。確かに、それぞれの国々が互いに助け合う相互関係はお互いに利益を伴うため、アメリカのような自国だけの利益を追及する姿勢よりも、関わる国々の数だけ一定の利益が分散されるものだと考えられる。しかし、協力関係になった国で紛争が起きたり、テロやクーデターが起きた際の国家間を通してもたらされるリスクは、アメリカの思考とヨーロッパの思考を比べた時に、ヨーロッパの思考のほうが高いのではないかと思えた。

 

🟢おわりに

 今回この本を通じて、ヨーロッパの思考とアメリカの思考について調べることができた。この書評で書いたことよりも、もっと多くのことを書き入れたかったのであるが、私が書き入れるとだんだん小説のような文章となっていくため、読者を疲れさせてしまうかもしれない。そこで、少し少なめに書き入れることにした。この書評を書いてみて、本を使って調べる行動の面白さを感じることができた。

 最後に、本書評でのまとめを行いたい。アメリカとヨーロッパの対比において、ここでは2つの思考の仕方と対立的な考え方を強調しながら書き記した。私は、物事を利益に基づいて示してしまう癖があるせいか、部分的に感情的な表現を用い過ぎたところがあったかもしれない。いずれにしても、結論としては、現代はヨーロピアンドリームに準ずる国際社会が築き上げられていると考えられる。アメリカンドリームからヨーロピアンドリームへ、思考性をどのように変えるかについて本書には書かれていた。しかし、現状の世の中を見ると、半ば受動的に、世界中がヨーロッパの思考になっていったのではないかと考えられる。

 客観的にみれば、どんな物事にも裏と表があるものだと考えられるが、結局のところ世の中は協調性を大切にする。そのため、過去にあった強い思考も周りに流されてしまうものであると感じた。

 

*排他性…他のものを受け入れずに避けようとする考え方

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