【書評】『ナポレオン 英雄か独裁者か』
- seikeigakubueuropa
- 2022年9月29日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年10月8日
上垣豊著、山川出版社、2013年
文責:渡辺虎之介(政経学部2年)
●はじめに
日本人に馴染みがあり、人気が高い偉人の一人であろうナポレオン。コルシカ島生まれの無名の若者が革命で揺れるフランスの中で栄光を手にし、一時はヨーロッパを支配するまでになる。しかし、野望の果てにヨーロッパ全体を敵に回し、最後は没落して悲劇の英雄となる。今日ではナポレオンに関する本などが多く出版されているが、その多くは歴史的背景を抜きにしてナポレオンの人物像を描こうとしているため英雄賛美に陥りがちである。この本では、歴史的背景に基づいてナポレオンという人間を解明していく。
著者の上垣豊(うえがきゆたか)は1955年生まれで、1985年に京都大学大学院文学研究科博士課程修了した。専門は、フランス近代史専攻。現在は龍谷大学法学部の教授をしている。
●本書の概要
・目次
1.コルシカとフランスの間で
2.共和派の将軍
3.革命の後始末
4.帝政への道
5.大陸制覇
6.没落と神話化
・第1章「コルシカとフランスの間で」
ナポレオンは地中海の小島コルシカ島の出身であり、フランスがコルシカ島を占領し征服した1769年の8月15日にコルシカ島の有力貴族であるボナパルト家の次男として生まれた。13世紀以来、コルシカ島はイタリアのジェノヴァの領土であった。ジェノヴァは、15世紀半ば以降のオスマン帝国の進出や18世紀のイギリス、フランスの貿易の発展に押されて、以前の繁栄を失っていた。そんな中でコルシカ島はパスカル・パオリを指導者に独立運動を起こし、1755年に憲法を採択し政府を樹立した。反乱に手を焼いたジェノヴァは、ヴェルサイユ条約によりフランスに島を分け与え、翌年フランス軍が島に上陸した。独立派は敗北し、パオリはイギリスに亡命した。その3か月後にナポレオンは生まれた。ナポレオンは、軍人養成を目的としてパリに建てられた士官学校を卒業し、砲兵将校としてヴァランスにあるラ・フェール砲兵連隊に着任した。ナポレオンはフランス革命を歓迎したが、コルシカの家族も気にかけていた。ナポレオンは地中海に浮かぶサルデーニャ島への遠征軍に砲兵将校として加わった。しかし、その遠征は失敗に終わりフランスはパオリ派の独立志向に疑念を向けるようになった。元々、ナポレオンはパオリに憧れていたが、コルシカでの野心はここでついえた。彼はコルシカ人からフランス人となった。しかし、コルシカに対する気持ちが途切れてしまったことで、パオリ派の人々から追われる日々になった。そして、住んでいたコルシカから出ざるを得ない状況まで追いやられていった。
・第2章「共和派の将軍」
コルシカ島から脱出し、フランスにたどり着いた頃、パリでは大きな政治変動が起きていた。反革命の反乱が起こり、南フランスの軍港トゥーロンはイギリスの手に落ちていた。しかしナポレオンの作戦でイギリス海軍は撤退した。この活躍が認められ、24歳の若さで准将となった。ここから、ナポレオンの人生は歯車が嚙み合い始めたのである。
1796年3月から1797年10月まで、ボナパルトの第一次イタリア遠征が行われる。ナポレオンは最も脆弱である北イタリアを責めるべきと考えた。たくみな戦術だけでなく、兵士への強い忠誠心によって、誰も予想しなかった勝利を収めた。さらに1798年、対英侵攻作戦の責任者とされたナポレオンは、政府に対してイギリス上陸作戦は不可能だと進言し、エジプト遠征計画を提案して、承諾させた。エジプト遠征の計画は以前から検討されていたが、政情不安に陥っていた政府の巻き添えにならないようにパリから離れたいというナポレオンの思惑もあった。そして、エジプト遠征は成功するのである。
・第3章「革命の後始末」
1799年12月5日、共和国第八年憲法が短い宣言とともに公布され、第一統領にナポレオンが指名された。ナポレオンが最初に取り組まなければならなかったのは、国際的孤立や国内の無秩序状態という革命の負の遺産の解決であった。ナポレオンは、あらゆる手段を使って権力基盤の拡大と反対派の抑え込みを行った。西部地方では、カトリック信仰擁護を旗印に反革命反乱がまだ続いていた。そこで、反革命のシンボル的存在だったヴァンデ地方の指導者を集め礼拝の自由を認めた。1800年1月に講和を結び、これを皮切りに西部全体の反乱を抑え込んだ。
こうして1792年以来10年間続いた戦争は終わり、待望の平和がもたらされた。フランスはイタリアの大部分を支配し、ドイツ諸邦の運命を手中に握り大陸ヨーロッパににらみをきかせるようになった。ナポレオンは、フランス革命の軍事的成果の継承者として圧倒的な威信を獲得することになる。
・第4~6章「大陸支配とその後」
ナポレオンは、その後支配の範囲を広げていこうとヨーロッパの各国へと勢力の拡大を進めていく。法律面だけではなく言語でもヨーロッパを統合しようとした。そのため、争いが絶えることはなかった。ナポレオンは、一時的に大陸を支配していたが、その期間は非常に短かった。ヨーロッパは、ロシアとフランスの二強時代が続き、ナポレオンは決着をつけるべくロシア遠征に出発する。フランス兵のほか、かつて支配下にあったドイツ、ポーランド、イタリア兵が加わり、多国籍軍になった。しかし、大軍ではあるが統率が取れず、まとまりがなかったため、この遠征は失敗に終わった。これがナポレオンの最後の戦争となった。
その後は、各地で反乱が起こりフランスの勢いは失速し、かわってロシアがヨーロッパの政治の中心に躍り出ることになっていった。ナポレオンは多くを求めすぎた。しかし、戦争が絶えないこの時代においては仕方無かったのだと思う。ナポレオンの大きな野望は、一瞬で終わってしまったが、ナポレオンは、良くも悪くも後世に語り継がれるほど天晴れな人生を送った。
●論点と批評
気になった点としては、まず、第4章の帝政への道で書かれていた内容がナポレオンの行動を裏付けるエピソードとしてイタリアについて書かれているのだが、説明不足があると感じた。800年に、イタリアの皇帝だったカール大帝にナポレオンは自分をなぞらえていた。しかし、なぜなぞらえていたのかが書かれておらず、ナポレオンとの関係性が見えてこない部分があったので調整できるのではないかと考える。
第2に、この本では、タイトルにある「英雄か独裁者か」という疑問についての答えが書かれていなかった。著者から見たときにナポレオンがどう見えているのかを書いていれば、読者が自分の考えと比較しながら読みやすいのではないかと考える。
ただ、確かに著者からナポレオンがどう見えているのかについては書かれていなかったが、多様な側面からナポレオンがどう見えるのかについてまとめていた。したがって、どの国の人がどのようにナポレオンを見ていたのかについて、非常に分かりやすかった。
本書は、ナポレオンの出生からフランス革命の内容、革命後、没落まで分かりやすくも専門的な観点からひも解いている作品である。文学や芸術作品のなかでも、ナポレオンは英雄として礼賛されてきた。私の個人的な意見としては、フランス革命という激動の時代に権力を握り、数々の勝利を国にもたらした彼は紛れもなく英雄だと考える。
ナポレオンについての基本的な知見から事細かな人間関係、戦争にいたるまで、この本1冊で大体は理解することができる。絵や補足説明が多く、楽しく読める基本文献と言える。
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