【書評】『バランスシートで読み解く世界経済史』 ~ヴェニスの商人はいかにして資本主義を発明したのか?~
- seikeigakubueuropa
- 2022年1月21日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年10月8日
著者:ジェーン・グリ―ソン・ホワイト 訳:川添節子
出版社:日経BP社 出版年:2014年10月15日
文責:宮嵜 康文
はじめに
前提として、経済的な発展に会計と複式簿記は欠かせない。そして、この本が描くのは複式簿記が作った人類史である。15世紀末にイタリア人、ルカ・パチョーリが考案したといわれる複式簿記がどのようにして誕生したかについて、その時期の時代背景や、偉人の言葉などが記載されている。また、現代の世界までに複式簿記にどのような変化があり、今日の資本主義経済の中でどのような役割を果たしているのかがが綴られている。本の冒頭には1968年3月18日、当時のアメリカ上院議員ロバート・F・ケネディの演説があり、そこでは、複式簿記が表示しえない内容もあると示しているようにも思える。本書は複式簿記の可能性を提示するには留まらない、豊かな示唆に富む一冊である。
目次
序章 ロバート・ケネディと富の測定
第一章 会計
第二章 商人と数学
第三章 ルカ・パチョーリ、有名人になる
第四章 パチョーリの簿記論
第五章 複式簿記の普及
第六章 産業革命と会計士の誕生
第七章 複式簿記と資本主義
第八章 ケインズー複式簿記と資本主義
第九章 会計専門職の台頭とスキャンダル
第十章 会計は地球を救えるか
終章
本書の概要
本書は、上記の通り、序章と終章に加えて10章で構成されている。前半の第一章から第四章までは、複式簿記の成立と形成が語られる。西ヨーロッパでは、16世紀以降、商業化が活発化し、商業技術も促された。その中で複式簿記の技術が徐々に変革され、これをルカ・パチョーリが世界初の本格的な複式簿記の指南書として発表したのである。パチョーリがまとめた複式簿記法は、現代まで続く原理となった。
次に、16世紀以降の複式簿記の普及を扱う第五章を経て 、第六章から、時代は近代に突入する。本書の後半は、資本主義社会における資本主義と複式簿記・会計の関係性が主題である。産業革命を発端に経済拡大期を迎える中での会計的発展が確認された後に、現代まで続く資本主義社会の拡大と加速化に寄与する複式簿記の姿が、多様な側面から検討される。そして、最後に、温暖化や大気汚染など地球規模の問題を抱える現代の我々にとって、複式簿記と会計がもたらす可能性と限界が考察される。
万能な複式簿記の至らない点
まず複式簿記とはどのようなものか。それはお金を「取引」と考え、お金の出入りと財産の増減を一緒にみることができる仕組みのことをいう。その簿記の表の左側を「借方」、右側を「貸方」と呼び、取引ごとに左と右の両側に分けて記録する。この記録を「仕訳」と呼ぶ。借方と貸方に分けて記録することで、「取引先がどうした」「なぜ私はこのようなことができたのか」という取引の内容を把握することができる。つまり取引を原因と結果の二面から捉えることができる。(参照:https://advisors-freee.jp/article/category/cat-big-03/cat-small-08/6713/)
では、複式簿記の至らない点とは、どのような部分だろうか。
先ほどのケネディの演説を例に挙げると彼は演説で次のように話している。「これまで私たちは物質的な蓄積を求める中で、個人の美徳やコミュニティの価値をないがしろにしてきたのではないだろうか。いまやわが国のGNPは8000億ドルを超えている。しかし、アメリカをGNPで評価するということは、大気汚染、たばこの広告、交通事故の犠牲者を運ぶ救急車をその勘定に含めることを意味する。それだけではない。ドアにつける頑丈な鍵、そしてそれを破る者を収容する刑務所。(中略)子供たちに玩具を売るために暴力をたたえるテレビ番組。こういったものがすべて含まれてしまうのだ。その一方で、子供達の健康や質の高い教育、遊びの楽しさは考慮されない。詞の美しさや結婚の素晴らしさ、開かれた議論の価値、公務員の誠実さも無視される。私たちの機知も勇気、知恵も学習も、思いやりの心も国への忠誠心も含まれない。つまりGNPは人生を豊かにするものを除外して国を評価しているのである。」(本書6ページ)
この文章から私が思うに「複式簿記」で、資本主義圏の覇権国家として経済的に豊かな時期を過ごしていたアメリカであるが、「複式簿記」等の数字であらわされる幸福とは裏腹に、もっと人間味のある幸せ(例:結婚や子供達)を追い求めるべきではないのかとケネディは訴えている。そしてそれは便利な複式簿記のデメリットでもあり、バランスシートを企業単位でなく、もっと大きな視点から見るべきであると主張しているのだと私は思う。
感想
私がこの本を読んで怖いと感じた単語がある。それは「費用対効果」という言葉である。意味そのものは「支出した費用によって得られる成果」である。このフレーズがなぜ怖いと感じたのかというと、この本の終盤にこんな話があった。フォード・モーター社がピントという車に安全装置を付けるかどうか検討し、安全装置のコストと失われる人命のコストを比較した。失われる人命のコストとは、安全装置をつけていない車で事故にあって亡くなるかもしれない男性、女性、子供の命をドルで評価したものである。そしてこの時の内部資料では、「11ドルの安全装置をつけないピントを販売した場合、年間2100件の事故が発生し、その内180人が負傷、180人が死亡するだろう。」(本書245ページ)と結論づけている。
その結果、安全装置を付ける費用が、効果を上回るという分析になり、こうしてフォード車は安全装置を付けないという決断をした。
結論として、この判断により、予想をはるかに上回る、少なくとも500人がこの車で事故にあって亡くなっている。
私はこのフォード車の考え、判断に驚いた。それはなぜか。まず会計上の考えで、費用対効果を念頭におくと、フォード車の判断はきっと正しいのであろう。なぜならそちらのほうが利益が算出されるからである。しかし、この判断は人の命を軽視するようなものではないのか。人命コストと、利益を比較するのは甚だおかしく、ブランドイメージを守るためにもこの判断は決して良いと呼べるようなものではなかったと私は考える。そして会計上では、そちらのほうが良い結果がでると考えられても、実際はそうではないという状況は、冒頭のケネディの話にも出てきた。我々はただ、バランスシート上の数字に左右されるのではなく、消費者や身の回りの環境を第一に、利益を考えていかないといけないのだろう。そのような事を考えさせられる一冊であった。国や企業を判断する基準は、決して目に見える数字だけではないのである。
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