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『統一国家なき国民―もう一つのドイツ史』~多国家的な帝国から連邦主義的な連邦国家へ―もう一つのドイツ史~

  • seikeigakubueuropa
  • 2月4日
  • 読了時間: 8分

著者:ディーター・ランゲヴィーシュ

訳者:飯田芳弘

出版社:みすず書房

出版年:2023年11月16日


評者:太田康介


●はじめに

 本書『多国家的な帝国から連邦主義的な連邦国家へ―もう一つのドイツ史』は「多国家的な帝国から連邦主義的な連邦国家へ」の変化を一般的なドイツ史の展開の中に位置付け、変化をよりよく理解しようと記述された歴史書である。著者の飯田芳弘は、ドイツを中心とする近現代ヨーロッパの政治史が専門であり、現在は、学習院大学で教鞭を取っている。本書の他にも、『改訂新版ヨーロッパ政治史』や『指導者なきドイツ帝国―ヴィルヘルム期ライヒ政治の変容と隘路』でも知られている。本書は、2023年後半に出版された近著であり、著者の近年の関心が反映された一冊である。以下では、本書の概要を示した上で、批評を行いたい。


●本書の概要

・まえがき

第一章:国民国家はドイツ史の目的だったのか

第二章:帝国と多国家性と連邦主義

第三章:ドイツ国民の一体性

第四章:一八七一年以降の国民と国民国家

第五章:展望


 まえがきでは、ドイツ史の複雑性と、その複雑性がドイツ国家成立をめぐる研究史に与えた影響が批判的に確認される。まず、旧帝国 の歴史について、中世においてどのような形態の「国家的なるもの」が発展してきたのかをテーマに、時を遡ってドイツ史として理解していく方法が語られる。様々な研究者がそれぞれ異なった視点から過去を眺め、いずれにおいても、その視点はドイツの国民国家に向かって進んだ。起源にまで遡って存在していた帝国を見据えつつも、同時に帝国からの断絶を行い、ドイツ史はヨーロッパの「正常な道」に加わり、「遅れてきた国民 」としてドイツは国民国家を手に入れた。しかし、旧帝国は、複雑で多国家であると同時に、多くの国家は帝国の書記官の下で互いに結び付けられ、国家として統一されていない。人々は連邦主義的国民であると理解していても、国民としてのまとまりは国民国家の下での統一でなく、「帝国」と呼ばれる連邦主義的な結合の下に、一つの国民が多くの国家に分かれて存在していたとされている。

 第一章では、ドイツ国民の伝統とヨーロッパとの断絶が書かれている。中世以降の帝国とその後のドイツ連邦まで続く多国家の歴史では、当時のオーストリアをドイツ人の国家に数えるなら、1938年までドイツ人は二つの国家の中で生きていたといえる。ドイツの内戦により、ドイツ連邦が解体し、フランスとの戦争でドイツ主義的な国民国家が出現し、オーストリアはこの国民国家に属さなかったものの、ドイツの国民からも切り離されなかった。その前の時代においても、常に複数の国家から構成されてきたのがドイツ国民であり、伝統的に特殊な状況ではなかったからである。

 ドイツ人の間には、国民に関する三つのイメージがあり、一つ目は、小ドイツ主義 的な国民国家である。これが、ドイツ人の歴史の中で初めて一つの国家の中にまとまった形でのドイツ国民を生み出した。二つ目は、19世紀に国民国家として成立したドイツ帝国であり、多くの国家から成り立っていた帝国国民の歴史的な記憶を伝えるものである。三つ目は、国民に関するイメージが文化的なものであった側面を持つことによる。ドイツ史の主要な特徴として、十九世紀に入るまでのドイツは、他の国家とたびたび結合関係を結び、二十世紀後半まで大規模な領域的変動を常に伴う深い政治的断絶があったからであると本書では記されている。そして、ドイツの道を支えてきたのは歴史的な多国家性であり、こうした多国家性に基づいて連邦主義的な国民のイメージが形成された。

 イギリスとフランスで生まれた「国民国家」は、植民地帝国へと拡大し、対外的な帝国支配を進行させていった。ヨーロッパの権力の国際的構図が変わり、ドイツは防衛を、イギリスやフランスは領土的拡張を目指したことで、ドイツはイギリスやフランスといったヨーロッパの大国とは根本的に異なることになった。旧帝国の崩壊とドイツの国民国家の成立という二つの歴史的断絶が、ヨーロッパ全体の断絶と絡み、国家統一を求めない、文化的な存在としてのドイツ国民という導きのモデルを作り、国民国家の同質性をさらに高めようとした。

 第二章では、中世から1871年までのドイツ史が説明されている。ドイツの起源は、明らかになっていない。強いて言えば、九世紀から十五世紀の間の長期的な展開がドイツ史の出発として描かれているという。いつからドイツ民族がいたのか、ドイツ王国が存在したのかは少数の中世史家は断定的に表現しているのみである。

 1815年から1866年の間に存在したドイツ連邦は戦争の産物であったが、ナポレオンに対抗しようと締結した同盟条約によって連邦主義的な絆が生まれるのか、それとも異なるタイミングで生まれたのかについては未決の問題である。さらに、旧帝国の時代の終わりとともに領域の問題が残った。中世以降に国家として凝縮化 し、旧帝国の終わり近くにはおよそ300あった自立的な領域数が38にまで激減した。それと同時に、国家の指導力を高め、改革を推進する力が現れたことによって、国家は統一的になった。

 第三章では、19世紀のドイツにおける様々な考え方が述べられている。1848・49年の革命の際に、国民国家が初めて成立した。その時まで、国民国家の建設は予期されておらず、この時期以前に起こった改革しようとする試みは君主たちが全て拒絶していた。しかし、結果としてヨーロッパの革命の波がドイツにまで及んだ際には、君主たちは抵抗せず、国民国家を実現させて国制を取り決めたのであった。臨時中央政府を設置し、憲法を制定した。こうした諸制度は、各構成国に対して優越性を誇る内容のものであった。

 この時代のドイツ語の使用例について見てみると、驚くべきことに「国民国家」という単語は一度も使われていない。国民の統一は、必ずしも国民国家の統一を意味するとは限らないと本書では指摘されている。国民の一体性を求められて、それはむしろ様々な可能性に対して開かれていた。 様々な可能性には、国家連合から連邦国家、そして単一の国家までを含む幅広い意味をもつ国民の一体性である。

 第四章では、国民国家の成立が正しい選択であったのか否かが記されている。もし、国民国家成立の可能性が小さかったと語るならば、国民国家による統一をもって歴史の目的が満たされたとする一般的に知られたイメージとは正反対のイメージが示されることになる。しかし、「プロイセン主導のドイツの国民国家に対する抵抗」はあっても、目標 に代わる現実的な選択肢は皆無であったとされている。

 歴史的に継承されてきた連邦主義は、目指す方向を変え、国民は連邦主義を支持することで国民国家に順応した。旧帝国と新帝国が歴史の記憶の中でつながることによって、皇帝と諸侯が実現させた連邦主義的な帝国国民の観念は文化的統合の力の一つになったのである。

第五章では、ドイツの連邦主義の変容が書かれている。連邦主義はラント が橋渡しとなって連続性が保たれ、ドイツ連邦共和国にまで行き着いた。連邦主義的な国家性というドイツの伝統とナチズムの経験は同じ方向性 を示していたが、連邦主義は強制的同一化に関する法律によって、事実上の終焉を迎えた。連合国の力によって、生き延び、連邦主義的な憲法を確立させて、連邦主義を存続させることを可能にした。ラントは自主的に行動して最初の憲法を制定し、連邦主義は、「ドイツの民主主義の奇跡」を可能にする原動力になった。

 ヨーロッパ化 のプロセスは、ドイツの連邦主義の変容に影響を与えた要因となった。ドイツの多国家性は、ヨーロッパの他の地域にも存在した複合国家の1つとして位置付けることができ、むしろ近世ヨーロッパでは通常の存在であった。18世紀に起こった各地での強力な戦争による甚大な暴力や革命的な断絶のような血にまみれた展開 が問題になっており、本書では、今後、ヨーロッパの国民国家から何か新しいものを作り出すのは難しいだろうと予想されている。


●批評

 本書の立場として重要なのは、随所で「国民の統一は必ずしも国民国家による統一を意味するとは限らない」と書かれているように、国民の統一と国民国家を切り離して考えることにある。その上で、国民国家の成立に繋がって、ドイツ人の一体感が存在していたと記されていた。しかし、そもそも統一されていた期間が短く、ドイツ国家が複数に分かれていた期間の方がはるかに長かったことを考えれば、「統一」というよりも、一つの大きな領土の下で数多くの国家があった多国家性にドイツ地域の特徴を見出す方が重要であると考える。

 著者のランゲヴィーシュ氏は、書名にもなっている「もう一つのドイツ史」が現代ドイツ史の支配的な語り方に対抗しようとするものと述べており、まえがきでドイツは国民国家に向かって進んでいる、ヨーロッパ史の「正常な道」であり、遅れて国民国家が成立した。負の遺産があり、歴史的な負荷とみなされるどころか、国の歴史を捉えて離さない不幸であると考えられている。その遺産のために、ドイツ人は国民として自己を確立できず、国民になることには難儀したとされる。

 私は、ドイツは負の影響を後世に与えて、ましてや複数の国家が存在していたので統一は難しく、国民の確立をし、国民国家を成立させることはできないと感じた。

 著者は全体を通してドイツの歩んできた道を様々な選択や政治体制を指摘しながらも否定はせず、改革や社会構築の理念とも結びついた国民の観念が成功させた原因であると述べている。

 また、本書の構成として、章が変わるごとに着目する年代にばらつきがあり、流れが把握しにくいのが難点である。どこかのページに図表などでまとめたものがあれば、理解しやすかったのではないだろうか。


●おわりに

 本書は、様々な文献や論文を用いて書かれていて、あらかじめ知識がないと読み進めて理解することが難しい一冊である。ドイツ史を研究している人や、ドイツ史を詳しく知りたい人に向けた本になるが、訳者がまえがきの前に「本書の理解のために」という項目を追加してくれており、ドイツ史のことが簡単に説明されている。したがって、ドイツ史を深く知らない人でも、本書を理解するための最低限の知識を得ることができる。

 
 
 

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