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【書評】『物語フランス革命』の内容と見解

  • seikeigakubueuropa
  • 2022年1月15日
  • 読了時間: 6分

更新日:2022年10月8日


 著者:安達正勝  出版社:中央公論新社 出版年:2008年

文責:永町光基(政経学部2年)






はじめに:本と著者の紹介


 本書は安達正勝の著作であり、2008年に中央公論新社から新書版で出版された。著者は、フランスの文学者であり翻訳者だ。本書の他にも、『暗殺の天使シャルロットの生涯』や『死刑執行人サンソン国王ルイ16世の首をはねた男』などを執筆している。1789年、市民によるーユ襲撃によって始まったフランス革命は、「自由と平等」という光り輝く理想を掲げ、近代市民社会の出発点となった。


 著者によると、フランス革命の時代は一途な理想に駆り立てられたという意味では夢の時代だという。希望とともに始まった革命は、やがて恐怖政治へと突入、そしてナポレオンの登場と皇帝即位にまでつながっていく。当時を生きた人々の息づかいや社会の雰囲気を追い、革命の時代を鮮やかに描き出したこの本の概要を紹介していく。




1. フランス革命はいつからいつまでか?


 フランス革命が起こったのは今から約200年前、日本の年号では寛政年間のことである。

1789年、バスチーユ要塞がパリの民衆によって攻め落とされた。その出来事によりフランス革命の火蓋が本格的に切られる。フランスの当時の国王は、ルイ16世であった。フランス革命は1799年のブリュメールのクーデターで終わったとするのが一番普通の考えであり、この10年間がフランス革命の時代とされる。この10年の中で、最高潮に達するのは1793年


 補足をすると、フランス革命は日本における明治維新のようなものである。当時の明治政府の西郷隆盛は、戊辰戦争の前に「200年の眠りから目を覚まさせるには血も流さにゃならん」と発言。激動の時代には流血はつきものというのが歴史の常である。




2. 革命初期のバスチーユ陥落


 バスチーユ要塞は、14世紀に首都防衛のために築かれた。1789年、民衆は国王の軍隊に対抗する武器弾薬を入手しようとしてバスチーユに攻め寄せた。国王側は高性能の大砲を何門も持っており鎮圧はたやすかったが、司令官のローネは進んで降伏した。バスチーユ陥落のニュースが広まっていくにつれ、フランス全土が革命的状況に燃え上がっていった


 バスチーユ陥落時のパリではパンが不足し、子供が十分にパンを食べられなかった。それに不満がある民衆の女性たちは、槍、剣、棍棒を手にして抗議運動を展開。ルイ16世はこの事件を受け、国王の一族ごとヴェルサイユからパリへと移った。国王が反革命の都市ヴェルサイユから革命の都市パリへと移った瞬間、革命の流れは決定的なものとなった。



3. 革命的動乱の時代へ


 ルイ16世は、革命家に強制されて意にそぐわないことを承認していた。革命家に流されて自分の意思を曲げるのには耐えられなくなり、亡命の意思を固める。210キロを移動した後、40キロというところで革命家たちに見つかりパリへ連れ戻される。この知らせを聞いた国民は憤慨し、「王政を廃止せよ」との声が高まった。その当時国会は、ジロンド派(穏健派)が政権を握っており国王寄りの政党だった。その政党と、国王を処刑すべきというジャコバン派(強硬派)と対立する。そして国王の一族は捕まり、裁判では「国王を死刑にするべきか」が論点になった。ジロンド派がこれに反対で、ジャコバン派が賛成である。しかし、ジロンド派の一部が賛成に回ったため、賛成が387、反対が334となり彼の死刑が確定する。


 ここで少し私の意見を差し挟むと、ルイ16世の死刑はやむを得なかったと思う。もし、ルイ16世の死刑がなければ、フランスは古いしきたりに囚われ続け、今のような自由と民主主義、言い換えれば夢と希望を世界中の国々にもたらすことなかっただろう。何よりルイ16世の時代に革命が勃発したのは、「それまでの絶対王政のツケが回ってきた結果である」(本書29ページ)と書かれている。



4. ジャコバン政府の時代


 ルイ16世の処刑後、ジロンド派とジャコバン派の主導権争いが勃発。国会は、機能不全に陥る。 この状況打開のため、民衆が立ち上がる。1793年6月2日、数万の民衆が国会を包囲ジロンド派の国会追放が決議、そして可決する。革命の主導権争いに決着がつき、ジャコバンの天下になる。ロベスピエールは、1793年7月27日に名実ともにフランス革命の最高指導者になる。ジャコバン政府の時代は、1793年7月から1794年7月のテルミドール反動までの1年であった。


 ロベスピエールたちは、より根本的な社会革命を目指していた。その中で特に力を入れたのが、「風月法」の制定である。内容は「外国に亡命した疑わしい者たち」の財産を没収、貧しい農民に分け与える法令だ。フランス革命は、王と貴族に代わってブルジョワシーが新しい支配者になる革命だった。




5. ナポレオン戴冠


 テルミドールのクーデターにより、ロベスピエールたちによる恐怖政治は終わった。しかし、テルミドール派の政府は反ロベスピエール派のジャコバン派、ジロンド派、そして王党派から成っていたため、政治情勢が不安定だった。こうした乱れを救うべき立ち上がったのは、ナポレオンである。彼は、ロベスピエールの理想とテルミドールの実利の両方を持つバランスの取れた人間だった。


 ナポレオンは政権掌握からほぼ2年で国内を平定。そして1804年8月ナポレオンは元老院決議により皇帝に推挙。皇帝ナポレオン1世として就任する。ナポレオンは軍人のイメージが強いが政治家でもあり「フランス革命の混乱を終息させかつ革命の成果を取り入れて近代社会の基礎を築いた」(本書273ページ)というのが彼の歴史的功績である。



おわりに:まとめと議論


 フランス革命については、現在に至ってもなお様々な議論が出ている状況であるが、革命を最終的にうまく終息させたのはナポレオンだ。彼の実績はあまりにも大きく、世界の多くで彼の歴史的偉業が語り継がれている。ナポレオンが成長し、出世できたのはある立役者の力があったからである。それは、ロベスピエールである。フランス皇帝にもなったナポレオンは、元を正せばロベスピエールが敷いた政治体制の中で見出された人物である。ナポレオンは、ロベスピエールの弟オーギュスタンの知遇を得ていた。ナポレオンは、ロベスピエールらジャコバン派に導かれなければ「『フランス革命を通じて彼が世に出ることがなかった』と断言できる」(本書282ページ)と著者は述べている。


 本書には、「『おぎゃあ』とこの世に生まれた瞬間から日々フランス革命の世話になっている」(本書17~18ページ)と書かれている。フランス革命は、恐怖政治の暗黒面もあったとされる。しかし、「合法性の人」ロベスピエール(本書264ページ)や「革命の子」ナポレオン(本書280ページ)らによる血を流すほどの努力の末に自由と民主主義を獲得したことを、私たちは忘れてはならないと思う。そして本書『物語フランス革命』は、そんなフランス革命を物語風に全体の流れを理解できる本なので、とてもおすすめである。

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