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『ドイツ史と戦争:「軍事史」と「戦争史」』

  • seikeigakubueuropa
  • 2024年1月21日
  • 読了時間: 7分

彩流社, 2011年11月15日 

編者:三宅正樹,石津朋之,新谷卓,中島浩貴


文責:宸皓(経済学科2年)

 

⚫️はじめに

 

 現在ドイツという国名を耳にするとき、イメージしやすいのは、ヨーロッパ連合の中心国として重要な位置を占め、国際平和に対して責任を持つ国家であろう。もしくは、先端技術国家として科学技術、環境問題への対応している国家という印象が強いかもしれない。しかし、かつてのドイツのイメージは、現在イメージされるものとまったく異なっていた。とくにドイツが統一国家になって以降、第一次世界大戦に向かう時代において国際的に形成されたドイツのイメージは、戦争や軍隊、武力が強い国家である。

 

 本書は多様な研究者が参集し、ドイツの軍事史、戦争史研究の成果をまとめた本になっており、最新の研究成果が数多く組み込まれたかなり魅力的な内容になっている。「ドイツ史と戦争」、「戦争史と思想」、「軍事組織としてのドイツ軍」、「ドイツ軍の世界的影響」という4つの部分から構成されている。その中で、戦争を軸に近代ドイツの歴史的推移を理解したかった私が最も興味を持ったのは、第一部の「ドイツ史と戦争」だった。本書は、一人の著者による統一的な一作品というよりも、各部によって著者も主題も異なる作品の集合である。各部が独立的に豊かな内容を有していることから、本書評では第一部に限定して紹介することにしたい。第一部「ドイツ史と戦争」では、ドイツ統一から戦後の冷戦とその崩壊期までのドイツについて、戦争を軸に描かれている。

 

 最初に、本書の第一部を執筆した3名の著者を紹介しておく。中島浩貴は、東京電機大学理工学部共通教育群の准教授を務めており、歴史学、なかでもドイツ近現代史、軍事史を専門とする。次に、望田幸男は同志社大学名誉教授であり、専門はドイツ近現代史である。最後に、新谷 卓は立教大学の非常勤講師を務めており、著書に『クラウゼヴィッツと「戦争論」』(共著、2008年)、『ドイツ史と戦争』(共著、2011年)、『終戦と近衛上奏文』(2016年)などがある。いずれも、ドイツ近現代史を専門とする研究者によって執筆された。

 

 以下、目次と各章の内容を簡単に紹介した上で、本書の第一部の批評を試みたい。

 

 

 

⚫️目次

 

第一部 ドイツ史と戦争

 

 第一章 ドイツ統一戦争から第一次世界大戦

 

 第二章 第一次世界大戦から第二次世界大戦―二つの総力戦とドイツ

 

 第三章 冷戦―政治と戦争の転換

 

第二部 戦争史と思想

 

 第四章 リュヒェルとシャルンホルスト――転換期における啓蒙の軍人たち

 

 第五章 モルトケとシュリーフェン

 

 第六章 ルーデンドルフの戦争観――「総力戦」と「戦争指導」という概念を中心に

 

第三部 軍事組織としてのドイツ軍

 

 第七章 ドイツ陸軍――ドイツにおける「武装せる国民」の形成

 

 第八章 ドイツ海軍――海軍の創建と世界展開

 

 第九章 ドイツの脅威――イギリス海軍から見た英独建艦競争一八九八〜一九一八年

 

 第十章 ドイツ空軍の成立――ヴァルター・ヴェーファーと『航空戦要綱』の制定

 

第四部 世界のなかのドイツ軍

 

 第十一章 ヤーコプ・メッケルと日本帝国陸軍

 

 第十二章 コルマール・フォン・デア・ゴルツとオスマン帝国陸軍

 

 第十三章 アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンと中華民国陸軍

 

 

 

⚫️内容

 

 第一章では、1864年から1914年までのドイツ史と、戦争と軍隊に関する問題を探究している。1864年、プロイセンはプダン戦争でデンマークに勝利し、デンマークはプロイセンにシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地区を割譲せざるを得なかった。1866年、プロイセンはプオ戦争でオーストリアに勝利し、1867年、プロイセンをはじめとする北ドイツ連邦が設立された。1870年には、フランス第二帝国とプロイセン王国による普仏戦争が勃発した。翌年1月18日、プロイセンは戦争に勝利し、プロイセン国王ヴィルヘルム1世はフランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝として戴冠した。ドイツ統一戦争における勝利ののちに、ドイツ帝国では、軍の威信が高まり、軍が国家、社会の全体的領域にわたって強い影響力を行使することになった。

 軍隊の威信が高まるにつれて、軍人は社会から尊敬される職業になった。国内の民族主義と拡張主義の圧力の下で、ヴィルヘルム2世は1888年にドイツが少量の海軍を維持する政策を放棄し、海軍を世界政策の重要な構成部分と見なし、英国に次ぐ艦隊を建造することを決定した。ドイツが海軍を大規模に拡大したことで、英国はドイツが最も主要な敵だと感じた。植民地問題における衝突の激化に伴い、英独間の矛盾が激化し始めた。

 

 続いて、第二章である。サラエヴォ事件後、ドイツ帝国はオーストリア・ハンガリー帝国のセルビア開戦を支持すると表明した。1914年7月28日にセルビアに宣戦布告し、第一次世界大戦が正式に勃発した。最後に1918年に同盟国が敗れ、ヴェルサイユ条約を締結され、ドイツ帝国が滅亡し、ヴァイマル共和国が誕生した。第一次世界大戦が起こる以前の戦争では、例えば、普法戦争は10ヶ月、普墺戦争は7週間かかったが、第一次世界大戦のように長期にわたって戦争が続くことはなかった。

 したがって、第一次世界大戦時の指導者には、このような総力戦の経験はなかった。つまり、第一次世界大戦は「結果」としての総力戦であったといえる。それに対して、第二次世界大戦は「はじめから」の総力戦であった。いずれにしても、第一次世界大戦、第二次世界大戦のいずれにおいて、ドイツは一方の主役であった。国際世論の裁きは、いずれの場合も「戦争放火者」としてドイツの戦争責任を問い、戦後処理も厳しいものになった。第一次世界大戦後、ドイツは巨額の賠償金を支払うことを余儀なくされ、これはドイツ国民の心に深い傷を残し、ナチスの台頭と支配を招く重要な要因となった。

 

 こうして、第三章では第二次世界大戦後と冷戦期の状況が描かれる。第二次世界大戦後、ドイツは東ドイツと西ドイツの2つの国に分けられた。米ソ冷戦の最先端になった。ドイツ軍国主義の復活を防ぐために、ドイツは軍隊を廃止された。1955年に西ドイツがNATOに加盟するまで、米国や英国などの監視下で国防軍を再建した。そして、武器の数も制限された。

 経済面では、西ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダが欧州石炭・鉄鋼共同体設立条約に調印し、フランスという宿敵と手を携えて平和発展の道を歩んだ。1990年に東西ドイツが合併し、この時のドイツはすでに元の軍国主義国家ではなく議会民主制を奉じ、国際平和に対して責任を持つ国家に変わっていた。

 

 

 

⚫️論点と批評


 気になった点としては、まず1点目として、第一章においてヴィルヘルム2世とビスマルクの間で生じた矛盾や、なぜビスマルクが辞任したのかが詳細には書かれていない。当時、ヴィルヘルム2世がビスマルクの提案や政策に従うことができれば、ドイツ帝国の歴史は変わったかもしれない。したがって、ドイツ帝国の歴史におけるビスマルクの重要性を体現するためには、ビスマルクがどのように政界を引退したのかをもっと詳しく書いてもよかったのではないか。

 

 第2に、第二章で議論されたナチスの台頭の原因についてである。原因の一つは、確かに第一次世界大戦後の深刻な賠償金であろう。ただ、これに加えて他にも諸々の要因が考えられるのではないだろうか。例えば、近代ドイツに対する長期的な目線に立つならば、その一つは、ドイツ統一戦争以来高まったナショナリズムである。ドイツ帝国の民族主体はゲルマン民族である。民族戦争と建国にいたる歴史的経路の中で、ドイツ帝国の民族主義感情は非常に強く、民族主義の持続的な発展がドイツの統一を招いたともいえよう。その後のドイツ民族主義は、徐々にそのあるべき方向から離れ、歴代の帝国政府は民族主義の極端な民族主義への進化を放置してきたとも解釈できる。ヒトラーは第一次世界大戦に参加した際、強烈なナショナリストであり、彼はゲルマン人で構成されるドイツ帝国が敗北することはありえないと信じていたという。第一次世界大戦が終わった後に、ヒトラーを含む多くのドイツ人が敗戦の事実を受け入れられなくなった。そして高額の敗戦賠償金とヒトラーの扇動により、ドイツは狂った第二次世界大戦へと向かった。

 

 以上のように、本書は近代ドイツと戦争について重要な論点を提示し、この本1冊で近代ドイツの戦争史を大まかに理解することができる。また、多くの絵や写真が含まれており、読みやすく楽しみながら読み進めることのできる本である。

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