【書評】『カタルーニャでいま起きていること―古くて新しい、独立をめぐる葛藤』
- seikeigakubueuropa
- 2022年1月21日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年10月8日
エドゥアルド・メンドサ著、立石博高訳、明石書店、2018年11月30日発行
文責:佐藤裕太(政経学部2年)
はじめに
この本は、スペインのカタルーニャ地方で、現在もなお争われているカタルーニャ独立問題を筆者の視点から描いたものである。筆者のエドゥアルド・メンドサは、現代スペインを代表するベストセラー作家の一人であり、これまで、バルセローナなどを舞台に近代スペインの一断面を鋭く描写する小説を発表してきた。本書はカタルーニャ人でもある筆者によるエッセイであり、これを日本におけるスペイン史・スペイン研究の専門である立石博高が翻訳し、紹介したものである。
本書の内容
本書の目次は、以下の通りである。
1. 日本の読者へ(p. 3)
2. 序文(p. 16)
3. フランコの神話(p. 22)
4. フランコ体制下のカタルーニャにおける弾圧(p. 26)
5. カタルーニャ語の使用禁止(p. 31)
6. 移入者(p. 39)
7. カタルーニャ社会の起源(p. 46)
8. 語られることのないカタルーニャ・ブルジョワジー(p. 55)
9. 原罪としてのバルセローナ(p. 61)
10. カタルーニャ人の性格(p. 68)
11. フランコ主義者が思い描いたカタルーニャ人(p. 73)
12. フランコ主義的民主主義か?(p. 78)
13. スペインのなかのカタルーニャ(p. 82)
14. カタルーニャの独立(p. 90)
15. 訳者あとがき(p. 99)
1936年からのスペイン内戦で、フランシスコ・フランコを中心とした反乱軍が当時の第二共和制を崩壊させて、フランコの独裁体制を成立させる。この独裁体制下で現在のバルセローナを中心とするカタルーニャ地方への弾圧が始まったのである。
弾圧の理由としては、当時のカタルーニャが分離主義や独自の文化・言語を有していたからである。カタルーニャ語が禁止されていたが、公式的に禁止されていたわけではない。人々のカタルーニャ語に対するイメージが著しくマイナスだったことがうかがえる。実際にフランコ主義者は、カタルーニャ人に対してかなりの過大嫌悪があった。当時のフランコ主義は、フランコ主義内部からは民主主義とうたわれていた。このことも、カタルーニャへの否定的なイメージと弾圧を加速することに寄与していた。
そして、カタルーニャには地中海やイベリア半島からの移民がいたが、カタルーニャ人は、これらの人々に対しても言語や文化の違いから、関係を閉ざしてしまう。そしてこれら移民の人々と自らを区別するために、元々カタルーニャに住んでいた人をカタルーニャ・ブルジョワジーと呼んでいた。
だが、やがてカタルーニャは自らの努力で経済発展を遂げていった。時には中央政府からの強圧的な運動も受けたと言われている。しかし、カタルーニャはめげずに自ら変革を始めたのである。
カタルーニャ人の性格についても書かれているが、本書では、決定的な答えは述べられてはいない。
本書の最後では、現在のカタルーニャについて考察されている。そして、いまだにカタルーニャでは独裁体制下の名残があるために事態は非常に深刻といえることを指摘している。
議論とまとめ
筆者はカタルーニャの現状を危惧しており、なぜカタルーニャがこうした事態になったのか?を細かく論じている。そうして、当時の人々のカタルーニャの実態と妄想とが、交差していることを問題に上げている。
読者層は、カタルーニャ問題にそれほど詳しくない一般の人々を想定していると考えられる。カタルーニャの現状を知ってほしいという筆者の感情が、あふれ出しているように感じられる。
私はこの本を読んで、これからのカタルーニャのことについても書いてほしかったと思う。この本ではカタルーニャを歴史的視点から見ているが、筆者の未来のカタルーニャ像を入れることで、読者としては、よりカタルーニャ問題に関心を持つことができると思う。ただし、本書における筆者の立場も理解できる。筆者は最終的には私たちと同じ立場でカタルーニャ問題を見ていきたいのであって、軽はずみなことは行ってはいけないと考えている。
いずれにせよ、カタルーニャ問題がいかに深刻なものかをより幅広い人に伝えていくことが重要である。そして、これからの事態にも注視していく必要がある。本書が、実態と妄想の交差する歴史と現状を知り、その上で未来を考えていくための出発点として、最良の書の1つであることは確かであろう。
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